箏(琴)との出会いが、人生の彩り、やさしさに、より含蓄を・・・
箏(琴)と私
1.教室を選ぶこと
2.菊大路志野と箏(琴)と仕事
3.邦楽の継承と普及
4.小中学校の音楽時間での「お箏の演奏」授業
日本全国に箏三絃教室(琴教室)は何千とあると思います。愛知岐阜だけで何十何百とあるかと思います。
その中には、大学の先生をされていたり、東京芸術大学を卒業された方などが教えておられる教室もあります。将来音楽の道に進まれる方は、そのような先生に教えを請われることが最適でしょう。
他方、趣味としてお箏を習いたい方には、演奏技術でトップを目指す必要はなく、正しくきれいな音で楽しく弾けることが大切なことだと考えます。
菊大路志野箏三絃教室(琴三絃教室)は、お箏(琴)を趣味とされたい方のための教室です。
ただ、あなたのお子さんに箏奏者としての才能があるかもしれないことを見出すために、近所の当教室で一度始められることもお勧めいたします。才能があると分かれば、知り合いの一流の演奏家・作曲家をご紹介いたします。
また、昔弾いていたけど再開してみようかと思っておられる方も、ぜひお越しください。今までの流派・先生はあまり気になされず、年齢も近いかもしれませんので、一緒に演奏を楽めれば幸いです。
菊大路志野のご紹介
私が箏を始めたのは、就職とほぼ同時でした。自分の一生を見据え、60歳で定年を迎えてからの人生をどうするかと考えたとき、やはり何か趣味があるとちょっぴり人生が豊かになるかもしれないと思い、巡り合ったのが箏でした。何事にも始めると熱中するほうですが、お箏も御多分に漏れずのめり込みました。8年半で職格の免状をもらい「菊大路志野」を名乗るようになりました。
以後、仕事も箏も全身全霊全力でめいっぱい人生を謳歌してきたと思います。
その後、2011年から2年、東京の本店へ単身赴任し(家は夫と子供に任せて)仕事に没入しました。
男でもない、大卒キャリアでもない、ただの女子職員が本店に転勤を命ぜられるのは、初めての事例でした。女性活躍が喧騒になり始めていた時代のことでした。この時代を含め、15年ほどは仕事と子育てで、箏の活動は休止しました。
定年退職し、箏三絃の活動を再開しました。その後、当道音楽会岐阜支部長、当道音楽会本部理事を務めつつ、日本の伝統音楽である邦楽の「お箏の継承・普及」をどのように行っていけばいいのかを考え続けています。支部長として理事として、意義ある仕事、意味ある仕事とは何か。社会のために、国のために、未来のために、子供たちのために、何をすれば役に立てるのか。47年間の仕事で成し遂げてきた成果を「お箏の未来」のために役立てることはできないものか。
結論の一つは、小中学校での音楽の時間に「お箏に触れ親しむ」時間を設けてもらうことでした。音楽の時間であれば、総ての児童生徒にお箏の演奏を体験してもらうことができます。「総ての児童生徒」という点が大事だと考えました。お箏クラブ、お箏体験会では、限られた子供しかお箏の演奏を実体験できません。なんらかの家庭の事情等にかかわらず、音楽の時間での「お箏演奏」であれば、ほぼ総ての児童生徒が演奏体験できます。国際化が日々進む社会において、日本の伝統音楽である邦楽の一ジャンル「お箏」を演奏する体験は、子供たちの心の中で何かの原点の一つとなってくれるかもしれません。
子供たちの未来を一緒に手助けできるかもしれないと考え、小学校中学校を訪問させていただきました。幸いなことに、羽島市の小中学校の校長先生、教頭先生、音楽担当の先生のほとんどの先生方も同じ考えをお持ちであったり、共感していただくことができ、それぞれの学校で、お箏授業を継続させていただいています。
授業後の感想文には、子供たちが、いかに充実した時間を過ごし、熱中し、向上心に燃え、日本文化の片鱗に触れた喜び、日本の文化伝統をさらに広く深く学んでいきたい思いが読み取れ、「お箏の先生」冥利に尽きると、毎時間喜ばせていただいています。
今後は教育委員会のご支援もいただき、さらに充実し子供たちに、より一層楽しい音楽のお箏授業をさせてあげる事ができていくことを楽しみにしています。
また、岐阜市内の小中学校でも先生方のご理解がさらに進むことを願ってやみません。
菊大路志野、命の限り、子供たちがより豊かな人生を歩んでいけるお手伝いを続けたいと思っています。80歳まで90歳まで頑張りたいと思います。より多くの先生方のご理解と教育委員会の一層のご理解を賜れんことを願ってやみません。




