公益社団法人当道音楽会のご紹介と邦楽豆知識

公益社団法人当道音楽会定款の第3条目的の項目は以下のように書かれています。
「この法人は、邦楽を広く一般に普及し、その技芸向上に努めるとともに、邦楽の芸術性を高め、その改善を図り、かつ、邦楽の育成に必要な助成を行ない、もって芸術、文化の向上、発展に寄与することを目的とする。」
これらの目的遂行のために、当道音楽会では邦楽に関して、指導、研究、教育、作曲、継承、普及等を使命としてさまざまな活動を行っています。
菊大路の一番の使命は、理事として「邦楽を、中でも箏を広く一般に普及」することだと心に決めています。その使命を実現する重要な方策の一つとして、校長先生、担任の先生、音楽の先生等と協力して、小中学校を中心に箏授業を岐阜県内で実施し普及に努めています。
【当道音楽会小史】
1905年(明治38年)
菊原琴治や初代菊田歌雄らによって、箏・三絃の演奏家・技能継承者の全国団体として、「当道音楽会」が設立されました。
1962年(昭和37年)
邦楽に関する永年の活動と功績が認められ、邦楽界で唯一、社団法人の許可を文部省より受けました。
2011年(平成23年)
邦楽に関する伝統文化の維持・継承をはかる団体であることに公益性が認められ、内閣府より公益社団法人の認定を受けました。
2025年(令和7年)
全国17支部、会員数2200名。
【豆知識1】
「当道」という言葉は、原義的には「My Way」が一番分かりやすいように思います。
その「当道」は、中世から近世にかけて、主に盲人の間で、琵琶や三味線、鍼灸などの芸道や職業を指す言葉として使われるようになり、以来今日まで、日本語の固有名詞として存続してきました。(原義的には普通名詞ですが)
室町時代以降は、室町幕府と江戸幕府から公認と保護を得て、盲人の自治的職能集団「当道座」として発展しました。
しかし、明治4年(1871)発布の太政官布告によって、盲人の組織「当道座」は、政府の公認・保護を失い、制度として消滅してしました。
明治38年になって、菊原琴治や初代菊田歌雄らによって、箏・三絃の演奏家あるいは技能継承者の全国団体として、「当道音楽会」が設立されました。
【豆知識2】
京都銘菓に「八ツ橋」があります。箏を連想させる湾曲した堅焼き煎餅です。名前の由来は近世箏曲の祖「八橋検校」にあります。井筒八ツ橋本舗の亭主に、八橋検校が堅焼き煎餅を教え伝えたことが始まりと言われています。
【豆知識3】
八橋検校: 近世箏曲の祖(1614~1685)。もともと、大阪の三味線の名手でしたが、江戸に出て偶然に筑紫流箏曲と出会い、おおいに気に入ります。気に入っただけではなく、筑紫流箏曲に天才的な改革を施すなど、現代まで受け継がれる多大な業績を残しました。「平調子」を考案し、有名な「六段の調」や「八橋十三組」等を作曲しました。
【豆知識4】
「こと」はもともと絃楽器の総称でした。箏は「箏(そう)のこと」と呼ばれ、琴は「琴(きん)のこと」、琵琶は「琵琶(びわ)のこと」、和琴は「和琴(わごん)のこと」と呼ばれていました。
【豆知識5】
桐で作られた180センチくらいの胴に13本の絃を張り、絃の端と端の間に琴柱(ことじ)と呼ばれる絃の支えを設置した楽器が箏です。一絃一音が原則です。「こと」と言えばこの筝を指すのが歴史上も現代も一般的です。一方、琴はもう少し小型で琴柱は使わず絃の数も7本と少なく、弾くときは三味線などと同じように絃を押さえて弾きます。
【豆知識6】
「当用漢字」「常用漢字」が琴と箏の利用に混乱をもたらしました。戦後1946年に国が指定した1850字が当用漢字ですが、琴は入っていましたが箏は入りませんでした。1981年に「当用漢字」が廃止され、新たに指定された2136字が「常用漢字」ですが、そこにも箏の字は入りませんでした。ゆえに戦後は、仕方なく本来は箏(こと)と書くべきところを、琴(こと)と書いてきました。多くの外字が自由に使えるコンピュータが当たり前になった現在、箏は箏と書くことが多くなっています。でも巷では今でも琴のほうが一般的かもしれません。学校などで説明するときは、必ず箏を用いています。
【豆知識7】
初めて「三曲演奏会」と聞くと「三つの曲を演奏する演奏会」と思ってしまいますが、邦楽で意味する「三曲」は、筝、三絃、尺八(又は胡弓)の三種の楽器による合奏を意味します。江戸時代の三曲は、必ず、胡弓でした。理由は、当時尺八は虚無僧以外の者による演奏は禁じられていたからです。
【豆知識8】
膝に「こと」を載せて弾いている埴輪があります。古墳時代のこの「こと」は、和琴(わごん)と呼ばれていて、日本古来の「こと」であり、7弦でできていました。
